悠久の時の流れのように季節が優雅に移り変わる。非の打ち所がない、日出ずる国。日本。 僕たちが到着した時、丁度晩夏の気配は消えていき、想像したよりもはるかに強烈な色相と彩度が秋の訪れを告げていた。
はずまさんに会ったのは、雨の日だった。猟友会、トレイルの会など様々なバッジがたくさんついた、眩しい蛍光色のベストを着ていた。167cmで60kgほどの細身の身体は、まるで鍛え抜かれた”Japanese Santoku Knife”のよう。そんなはずまさんは軽く手をあげ、小走りに近寄ってくると、謙虚にお辞儀をし、ニコッと笑った。
弭間 亮
一見すると、いわゆるトレイルビルダーという風貌では無いのだが、はずまさんがとてつもない信念を持った人であるということがわかるには、少しの間、彼を観察し、話を聞くことで事足りた。この辺りでは、はずまさんみたいな人のことを「Yamamoribito | 山守人」と呼ぶらしい。伝統を重んじ若い精神を持った、はずまさんの愛称としてぴったりだと思った。
2年もの間、はずまさんは休みになれば、職場とトレイルを4時間かけて往復し、安らぎと生きる意義を探しに南アルプスの山に通っていた。はずまさんは東京に住んでいて、仕事場までは電車で東に2時間、トレイルがある南アルプスの山までは車で西に2時間のドライブだ。
僕たちが訪れてから4ヶ月後、はずまさんから一本のメールがあった。トレイル作りに全てを捧げるため、仕事を辞めて南アルプスに移り住むという連絡だった。これがはずまさんの、その時の言葉だ。
「If I say I do it, I will do it」
僕たちには、はずまさんが国立公園の父として知られるジョンミューアと同じ信念を持っているようにすら感じられた。そう、有名な「山に帰ることは、家に帰ることだ。」ってやつ。
山 | Mountains.
はずまさんの山に対する溢れるような愛情は、彼の母から溢れてきたものであった。はずまさんは、少し恥ずかしそうに僕たちに母親について教えてくれた。
「母は自然と歴史がとても大好きなので、僕にも同じように大好きになってもらいたいと思っていました。母は僕がすることの全てをサポートしてくれています。」
はずまさんのことは、「Trail Shogun」と呼んでもいいのかもしれない。実際に、はずまさんの苗字は、日本で初めての将軍からもらい、代々と受け継いでいるとのことだ。ピンと張られた弓の弦を結ぶ、凹みと凹みの間のことを「弭間(はずま)」と呼ぶそうだ。
はずまさんは、この伝統のある苗字に恥じないようにして生きていると教えてくれた。その意味を少し不気味なほど鮮やかに感じた瞬間があった。それは、はずまさんが仲間と一緒に復興したという、山の伝統に深く根ざした夜祭に一歩を足を踏み入れた時であった。
2013年。はずまさんは、南アルプスの長い歴史と伝統の中にマウンテンバイクを持ち込んだ。人々が仕事のために都市に向かい山から離れていく中、失われそうになっていたこの美しい夜祭は、マウンテンバイカーたちの手で輝きを取り戻していた。若い人、お年寄り、マウンテンバイクに乗る人、乗らない人。その夜、人々は遠くからこの夜祭のためにぞくぞくと集まった。
伝統を守り、文化を保ち、世代の枠を超える
今年の夜祭の日はさらに特別だった。はずまさんがマウンテンバイクを集落の人たちに紹介した頃、南アルプス市との交渉も同時に始めていた。
今年の夜祭が始まる前、僕たちは、南アルプスの市役所で、はずまさんがトレイル使用に関する協定に調印する瞬間に立ち会うことになった。この協定により、はずまさんと、はずまさんの仲間が南アルプスユネスコエコパークでトレイルビルドとパトロールライドができることとなった。噂では聞いたことがあるかもしれないが、日本で行政とこのような取り組みができたことは奇跡と言っても過言ではない。日本で新しいことを行うというのは想像を絶するほど大変で、不可能とすら思われるからだ。
粘り強さ | Tenacious.
マットハンターに、はずまさんのことを聞けばこう言うだろう。「はずまさんは、やるって決めたことは絶対にあきらめない。」2014年にマットハンターがTrail Hunterの撮影のために来日した時、撮影に参加したはずまさんは、マットとこんな約束をしていた。「僕ががこの山の頂上から麓までつながるトレイル(注釈:3,000m級の日本画のようなトレイル)を作れるようになったらマットには必ず戻ってきてほしい。」
また、はずまさんは協力者である木村と一緒に、トレイルビルダーズサミットを夜祭の後の週末に企画し、日本全国だけでなく、アジアの国々からも多くのトレイルビルダーを招待した。そう、これだけでも歴史的なこと。なにせトレイルビルダーを一堂に会したイベントは日本では初めてだったからだ。
はずまさんは約束を果たし、マットは約束通り帰ってきた。僕たちは100人を超えるマウンテンバイカーと、たった4時間で新しいトレイルのセクションを作り上げた。もちろん、みんなで作ったトレイルでバイクに乗り、そしてスシを食べ、そしてまたバイクに乗った。僕たちは部屋に入る前に靴を脱ぎ、全く何が入っているかよくわからない鍋をハシで突いた。学校の校長先生や地元の消防団員のおじさんたちと連夜の「少し」の日本酒の後押しもあり、仲良くなった。「アリガトウ」以外で最初に覚えた日本語が「フツカヨイ」だったのは単なる偶然ではない。
季節がお互いを思いやるかのように、緩やかに移り変わる日本において、日本に住む人たちは、人、伝統、自然に対する尊敬を忘れない。
弭間 亮。そして僕たちに心を開き、彼らの土地に招き入れてくれた日本に住む人たちは、勤勉で粘り強く、完璧を求め、規律を守り、神々への深い尊敬を忘れない。そして、みな、あたたかい。そう、まるで日の出の太陽のように。
日本に住む人、そしてはずまさんのような、世界の山守人のみなさんへ
Arigato gozaimasu. Thank you.
Words by Fanie Kok, Director of Soil Searching